コイコ実家では、年末になるとお餅を作るのが行事となっております。
子供の頃は釜に薪をくべてもち米を蒸し、杵と臼でついていたのですが、今や電動餅つき機で作っています。
電動と言えども馬鹿にできず、かなり美味しく出来るんですよ。
コイコの子供の頃は「いつの時代の話?」や「田舎どこ?」とよく聞かれるくらいレトロだったりします。
最初に言っておきますが、コイコが物心ついてる年齢なので20数年前、、大阪は八尾での話しですよ。
今ではコイコの家族のみで行ってますが、当時お餅つきは、親戚全員集まって行われてました。総勢約20名。男性衆は一升瓶を脇に置き、お酒を飲みながらお餅をついたり丸めたりします。女性陣は皆割烹着を着て、それぞれが作ってきたおはぎ持参でお餅の中に丸め入れてました。子供たち(コイコたち)は釜に薪をくべる係りで、薪割りから始まりウチワ片手に火の守りをしていました。近所の『元力士』という人がお餅つきの為にわざわざ家まで来て下さったりもします。この人は年に一度、この日だけしかお見かけすることはありません。
この話だけで昭和の匂いがプンプンしてきますね。しかも昭和初期。
何度も言いますが、コイコは昭和49年生まれですよ。
他にも地蔵盆などは、子供たちの名前が書いた提灯をお仏壇の前に飾り、お菓子やジュースなどがお供えされます。なので、新しく誕生した子供は祖父母から地蔵盆用の提灯がプレゼントされるのです。お供え物は子供たちのものなので、それぞれが祖父母の家に取りにいきます。ハロウィンみたいですね。ちなみにこの行事はつい最近まで行われていました。
昭和初期の匂いがするのは行事だけではなく、卵を買いに行く時にしてもコイコは養鶏場にかごを持って行き、kgで購入していました。お豆腐もお豆腐屋さんが鐘を鳴らしながらやってくるので、ボールを持って追いかけたりもしました。家にはニッキ水やソーダ、ミカン水が1ダースずつ置いてあったり、人形ごっこは家の前の道端にゴザを敷いてやるのが主流でした。
この手の話をすると「コイコ何歳?」って言われる事が度々ありますが、皆さんはどうなんでしょうか?
↓出来立てお餅たち。白餅、海老入り餅、ゴマ入り餅、長餅です。

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